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ゲーム亡国論

 主に遊ぶところは?という問いに、小学生の50%が家の中と答えたという。今の30代の人たちが小学生のころは0、3%だった数字だ。
 
また先日千葉で聞いた話だが、いまや小学生のほとんど全員がゲーム機を持っていて、持っていない子供はその輪に入れない、つまり一緒に遊ぶ人がいないのだという。それを聞いて寒々とした気持ちになった。

 そういう私もゲームは好きなほうで、子供のころから1人でゲームを作っては楽しんでいたし、ここ2,3年のフォルケ生も私の作った(電気を通さない)ゲームで結構楽しんでいる(と私が思っているだけかな)。人生のどこかの分岐で別なほうに進んでいたら、もしかしたらゲームを作る仕事をしていたかもしれないと思うことすらある。だからこれまでも、ゲームを目の敵にするような親の発言には、あまり共感をしてこなかったのだが、それにしても、ここまでゲーム機がこどもの生活と心に深く浸透してしまうと、この国の将来はどうなっていくのだろうかと、本当に心配になってしまう。
 
ただ問題は、ゲーム(これからはTVゲームを意味する)の存在だけにあるのではなくて、子供たちが外で安心して遊ぶことができるような、場所や環境のなさにあるとも言えそうだ。ゲームそのものにというよりは、そのために失われている、外で自然に触れ合う時間に対して危機感を持つのかもしれない。
 
 ノルウェーをはじめ、北欧の国々の人たちは自然を本当に大切にしていて、子どもたちの成長にとって一番大切なものは自然であると、多くの大人たちが信じている。幼稚園や保育園では、一日に1回必ず外に出るし、週末には都会を離れて、家族で自然の中に戻っていくのは、北欧人の常識ともいえる。

 ただ、嘆いてばかりでは日本のこうなってしまった現実を変えることはできない。現実の中でどうゲームと付き合うのか、付き合わないのか。私も何年か前、ゲームを通じてしか対話のできなかった不登校の少年の部屋で、約一年間一緒にゲームだけをして過ごした事があった。心を閉ざしている少年と対話を始めるときに、ゲームが会話の糸口になることも多い。今この現実の中で、子供にとって何が必要なのか必要でないのかを、みんなで考えるときが来ている。

 小国フォルケの存在の意味の一つは、自然と触れ合う時間の少なかった元子供たちに、せめてわずかな時間でも、ゆったりとしたときと、美しい場所を提供することにあるのだろうと思う。

浅い知識と経験だけで書いている文章なので、ご意見や反論もあろうかと思います。コメントやメールをお待ちしています。

2月23日

Jettyが家にもどり、フォルケの1週間が終わった。いよいよ今年度もあと1週間を残すのみとなった。
by oguni-folke | 2007-02-24 09:28
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