自由の森25周年

10月10日~11日

自由の森学園が誕生して25年目を迎え、記念のイベントに出席のため飯能へ。
今日はその報告と、創立前夜の自由の森(以下自森)のことを少し。

私が、当時明星学園の校長だった遠藤豊さんに初めてお会いしたのは、1982年の冬だったと思う。
私が27歳、遠藤さんは56歳(ほとんど今の私と同年齢)、私は音楽教師としての経験実績はほとんどなく、その当時は岐阜のゴーバルで、かぼちゃとハムを作っていた。

そんな若造の私を遠藤さんは三鷹の駅前の料亭に誘ってくれ、一献傾けながら新しい学校つくりのことを語られた。その年のその後の記憶ははっきりしないが、翌年の冬私はゴーバルを退職、自由の森学園設立のための準備に入った。私はその頃に職なき新郎として結婚したのだが、学校創立の仕事は遅々として進まず、小学校でアルバイトの教員として、約1年半働くことになった。

当時明星の教師や親たちで、遠藤氏や無着成恭さんの教育観に賛同する人たちが、井の頭公園の脇にあった「寺子屋学園」に集まり、新しい学校についてアレこれ語り合ったものだった。自由の森という学校名もその中で生まれた。

当時学校ができる確率は2%だった(松井幹夫氏)そうで、今おもえばよくスタートできたなあと思う。
84年になって許認可関係の色々なことが(奇跡的に)進み出し、用地買収や教員集めなど具体的な準備が始まる。

教員の公募には400人を超える希望が寄せられ、その中から残った40名ほどの人たちによる試験模擬授業が秋に、文京区の太郎次郎社で行われた。そこで選ばれた人達は、今でも自由の森の教育の中核として活躍されている。

そして1番肝心な生徒が集まるか、という問題。遠藤氏はかなり悲観的で、あんまり集まらないのではないかと思っておられたようだが、実際に色々な会での親や、若者たちの反応を最前線で感じていた私や大友さんは、かなり大勢の人達が集まるだろうと予想していた。
そして、そのとおりになった。

以下はまたそのうちに。

そうして出来上がった自森に、教員としては6年しか勤務できなかったのだが、そこでの経験や出会いは、私の人生の宝であり、今のフォルケの営みにも深く繋がっている。

今回の25周年行事では、一こまの音楽授業を、大友さんや音楽の教師のみなさんの協力をいただいて、もたせていただき、「私と小鳥と鈴と」や「ハッピーバースデイ」を一緒に歌った。

会には、開校当時生徒だった人たち(その当時の私よりも年長)もたくさん集まり、いつものように最後は大合唱で終わった。私もひさびさにその輪の中に入れていただいた。あらためて、いい学校だなあと思う。

ただ、たくさん懐かしい人達にお会いしたのだったが、皇室の園遊会のように、ほんのわずかずつしかお話ができず、ちょっと心残りだった。
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by oguni-folke | 2009-10-13 12:52
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