<   2015年 06月 ( 5 )   > この月の画像一覧

熊が出た!!

昨日(26日)の夕方、私の山形の家の庭に熊が出た!と隣接する子ろばの家に住む忍さんから連絡が来た。「たった今!」だという。
前回は2004年の6月だったから、11年ぶりの来訪ということになる。ただ、これまでだって私たちが気づかなかっただけで、ちょくちょく来ていたのかもしれない。たわわに実った桑の実を食べていたという。

猛獣ではないので、突然の遭遇さえなければそう怖がることもないのだろうが、やはり念のため、来ないでねのしるしとして「大きな音で音楽でもかけたら」ということになった。
さっそく忍さん、今朝から大音響で私のCD「主はわたしの歌」をかけるという。とうとう私の音楽もクマ除けにも活用されることになった。

ただ一つ心配は、森の学園の子どもたちの歌やヴァイオリンの素敵な音色に、熊もうれしくなって聴きに来るのではないか、ということだが、ま、そんなこともないか。

今夜はこの歌を、この夏韓国に行く中高生たちと歌うことになっている。
[PR]
by oguni-folke | 2015-06-27 18:37 | Comments(2)

洪水

私の勤める土浦めぐみ教会は桜川のほとりに立っている。それほど大きな川ではない。大声を出せば、向こう岸とも対話ができそうだ。河岸には桜がずっと植えてあって、春は特に美しい。2キロほど下流の霞ヶ浦に流れ込んでいるようだ。

この桜川が、私が生まれる前、1950年に氾濫した。その大洪水が私の人生に大きな意味を持つことが最近わかって驚いている。

もし、の世界にはなるが、もし私が独立学園で、桝本先生ご一家と出会うことがなかったら、音楽の道に進むこともなかっただろうし、そもそも独立学園に桝本先生ご一家がいなければ、独立学園だって今の形で存在しているかどうかも怪しい。

藤尾正人著「一世紀はドラマ」によれば、桝本うめ子先生が、茨城で開拓を始めた忠雄先生ご一家のもとにやってきたのは、1946年の初秋、『あたくし(うめ子先生)は常陸藤沢の駅に降り立ちました。そこは真後ろから筑波おろしが吹きつける場所でした』とある。当時の新治郡藤沢村は今は土浦市に合併されているが、1987年に廃線となったつくば鉄道のこの駅は、今でもサイクリングロードの休憩所としてその姿を残している。
f0069883_2151298.jpg

もと常陸藤沢駅

桝本先生ご一家が、華子先生のご兄弟家族と共に戦後開拓に入ったこの場所は、教会からも、今私が住むつくば市からも4、5キロの場所で、車なら6、7分で到着するほど近い。

ここで5年間、先生ご一家は畑を作りブタを飼い、地域の人たちとも親しく交わったようで、日曜学校も開いていたと記録されている。開拓を茨城でされていたことは何度もうかがっていたが、その場所がこんなに近い場所だったとは!

ようやく農業が軌道に乗り始めた1950年の8月、この地方を襲った大雨により桜川が氾濫、5年間切り開いた農地も何もすべて流されてしまった。その結果、桝本先生ご一家は、間もなく独立学園に行くことになるのだ。

今はただ水田が広がっている開拓地と思える場所に車を止めて、あたりをみわたした。桝本先生ご一家が夢を追った場所がここにあると思うと胸が熱くなる。その夢は濁流に呑み込まれたが、洪水という不幸と思えるできごとによって、私だけではなく、多くの独立学園で学んだ人たちに大きなめぐみが与えられた。この不思議を、私たちは偶然とは呼ばない。
[PR]
by oguni-folke | 2015-06-25 17:09 | Comments(0)

しみ雪の頃

フォルケが始まった年に、ゴーバルの石原真木子さんが寄せてくれた暖かな文章を紹介しよう。ゴーバルを始めた4人のメンバーの中で、最も不真面目だったのが私。天の国での再会を期待しつつ。
***
独立学園時代のこと。3年生になったばかりの4月、6時の起床前に同室の一年生を起こし、男子寮の裏の山に登った。その朝はよく晴れて、しみ雪になったのだ。朝作業も朝食もさぼりだ。てっぺんに出ると真っ白に輝くサルッパナの山。ぐるりとパノラマの様に山々に囲まれた。

「ね、すごいでしょ。すごいでしょ。」と、私は得意になって、秘密をうちあけたような快感を感じたのだ。私たちはウサギかリスになったみたいに雪のうえをはね回り、そしてこっそりと部屋に戻った。卒業してからもらった手紙に、同室の彼女はその時のことが忘れられないと書いていた。いろいろ危なっかしかった十代後半のあの頃、叶水の暖かくて厳しくて、ゆるぎない自然にどんなにか支えられ、そして慰められたことか、、。

2001年、毎日降り続く雪との闘いだった小国フォルケの冬も、もうすぐ終わろうとしていますね。きっと、どんな小さな春のしるしも、喜びになり感動となることでしょう。
その感動を人から人へ伝えあう営みが、生きる力を生み出すのかもしれない。私の大好きな叶水の隣に、小国フォルケがあることがうれしい!

 独立学園で、まじめに、あるいは不真面目に3年間を過ごした4人のメンバーが、なんとなく集められて始まった「アジア生活農場ゴーバル」も21年目に入った。趣味の牛飼いや羊飼いをした時期もあったが、細々と手作りのハム、ソーセージを作ってきた。叶水のような豪雪地帯ではないが、ここ串原村も相当なドいなかで、冬の寒さは厳しい。でも澄んだ空気と水が私たちのハムつくりの未熟な技術を補ってくれ、豊かな自然が子どもたちを育ててくれた。そして、仕事と生活がごちゃ混ぜで、子どもが工場の中を走り回ったりするなかで、たくさんの個性的な若者たちが、それぞれの時間を共に過ごしていった。フォルケとゴーバルは言わば兄弟分のようなものかもしれない。新しい春に、新しい出会いと感動が与えられますように。

2001年   石原 真木子
[PR]
by oguni-folke | 2015-06-06 12:46 | Comments(0)

報告2

駆け足で旅の報告つづきを

木村さんとうちあわせのあと、ちょうど2年前に亡くなった和枝さんのお墓参りを。思い出に浸りながら。墓石をいろいろ考えているとのことでした。

次に若者の居場所プラットホームを訪ねるが、今日は休みで残念。
最後に、長く立ち止まっているHさんのお宅を久しぶりに訪問し、ご家族とお話をした後、米沢へ。
NPOになったからころセンターに伊藤さんを訪ねて、しばし報告と歓談。参加の若者の人数も増え、いい働きを続けておられる。病院で毎年恒例の健診のうちあわせを済ませ、小国へは7時着でした。

転居するのは、なかなか面倒なことが多くて、翌日は半日ほぼそのことで費やし、家の周りの草刈りもして、30分だけ山菜を採って午後つくばに帰りました。
[PR]
by oguni-folke | 2015-06-04 15:23 | Comments(0)

地産地唱

6月の最初の2日間、予定より2週間遅れて山形に帰った。その報告。

山形市にまず行くことになったので、いわきJCで急に思い立ち、全通した常磐道を初めて走ってみることにした。
いわきから20分も走ると風景が変わった。双葉、富岡、浪江、、人の住んでいる気配がなくなり、廃屋がめだってくる。放射能の表示計の数値が一気に上がって5、5に。息をのむ。
聞くと見るでは感じることが全然違う。
 ずっと聞いていた自作の合唱CDが、ちょうど昨年木村さんと、原発事故をテーマに作った「希い」になる。
♪ 悲しみを拾い集めることすらできずに
詞もうたも、これまでとは全然違う迫力で迫ってくる。
***
つくばの我が家から、3時間15分で早仙台に到着。ここで西に折れて山形へ。
山形道に入ると山はむせ返るような、一面躍動する緑。なつかしい故郷の山々。
歌が「風とたんぽぽ」に変わり、ここで気づく。地産地消というけれど、歌にも生まれた風景というのがあって、そこで聞く歌はほかの場所で歌ったり聞いたりするのとは全然違うということに。これを地産地唱と呼ぼうと思う。つづく
[PR]
by oguni-folke | 2015-06-04 11:49 | Comments(0)