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秋のコラレン

気配どころではなく、もうすっかり秋

初コラレンに行って、3年生のうたを聴いた。(ちょっとは弾いた)
悪く言えばちょっと乱暴。よく言えば若者らしくてエネルギー満ち満ち。

終わったあと、D君が寄ってきて小声で
「今日のヒロシマ、絶叫しすぎですよねー」
「ふふ、そうそう」私も小声

「生きる」も同様、声出すぎ、叫びすぎ

でも、合唱としてはそうなんだけど、今この時代に、
高校生たちが「ヒロシマのある国で」や「生きる」を
声の限りに歌っている様は、やっぱり泣ける。

明日は、大人のうたを聴きに千葉へ日帰りの予定。
泣けるうたが聴けるかな。
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by oguni-folke | 2014-08-30 06:29

寒い!

26日

授業、来客(インタビュー)、男声合唱、夜はららら合唱団と忙しい一日。
合間に畑と、CDの発送作業。

27日

朝寒くて目が覚める。気温は20度に届かない。

今日は、年に3、4回はまわってくる朝礼の当番。
考えた末、タイトルは「そのあと」
4月2日本欄でも紹介をした、谷川俊太郎さんの詩「そのあと」を紹介し、そこから思うことを語らせてもらった。

昼には、年に一度のアジア学院一行来校、生徒たちとの交流会。
男声コーラスは、この会の定番となりつつある「コシ・シケレリ・アフリカ」

アジア学院研修生さんたちの出し物はアフリカの歌と踊り。ソロはソマリアの女性。
これには生徒たちもだんだんはまって一緒に踊りだし、盛り上がった。
写真がとれず残念!
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by oguni-folke | 2014-08-27 17:54

ほんとうの空が

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全国各地から130人ほどの方たちが蔵王に集まり、1泊2日の歌の合宿+交流は、
好天にも恵まれ、夏の終りの涼風が吹く中で至福のひとときでした。
指揮の守屋先生、ピアノの門さんほか皆さんお疲れ様でした。(蔵王アストリアホテル23日~24日)

さあ今日(25日)から新学期、高校生との授業の始まりです。

***
ところで、こんなものが。 決意
どなたが作っているんだろう?

そしてとうとうミクさんまで。 決意2
でも初音さん、ご挨拶はしましょうね。
この歌、福島に限定しないで歌えそう。
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by oguni-folke | 2014-08-25 05:25

フシグロセンノウ

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千葉若潮少年少女合唱団の演奏会(16日)から始まる6日間の旅から、無事に戻りました。

明日からはまた蔵王で、日本のうたごえ合唱団の夏季合宿です。広島にもたくさんの歌う友人たちがいるので心配です。
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by oguni-folke | 2014-08-22 08:42

原爆詩集より

69年前、二度と戦争をしないと誓った祈念の日に、
謹んで峠三吉氏の「原爆詩集」より、紹介をさせていただこうと思う。

序は有名だが、あとがきは私も初めて読んだ。特に最後の文章は、まさに今書かれたかのように迫り来る。このねがいと警告のことばを、あらためて私のこころに深く刻み、小さなことではあっても、今私が平和のためにできることを、真剣に考えたい。

2014年8月15日   武 義和  


***


ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

***
あとがき

 私は一九四五年八月六日の朝、爆心地より三千米あまり離れた町の自宅から、
市の中心部に向って外出する直前原爆を受け、硝子の破片創と数ヵ月の原爆症だ
けで生き残ったのであるが、その時広島市の中心より約二千米半径以内にいた者
は、屋内では衝撃死又は生埋めにされたまま焼死し、街路では消滅、焦死あるい
は火傷して逃れたまま一週間ぐらいの間に死に、その周辺にいた者は火傷及び原
爆症によって数ヵ月以内に死亡、更にそれより遠距離にいた者が辛うじて生き残
り、市をとり巻く町村の各家庭では家族の誰かを家屋疎開の跡片づけに隣組から
出向かせていたため骨も帰らぬこととなった。またその数日前ある都市の空襲の
際撒かれたビラによるという、五日の夜広島が焼き払われるという噂や、中学校、
女学校下級生たちの疎開作業への動員がこの惨事を更に悲痛なものとさせたので
ある。
 
 今はすべての人が広島で二十万ほどの人間が一発の原子爆弾によって殺された
ことを知っている。長崎でもそうだ。然しそれは概括的な事実のみであってその
出来事が大きければ大きいだけに、直面すれば何人でも慟哭してもしきれぬであ
ろうこの実感を受けとることは出来ない。当時その渦中にあった私たちでさえこ
の惨事の全貌を体で知ることは出来なかったし、今ではともすれば回想のかたち
でしか思いえぬ時間の距りと社会的環境の変転をもった。
 
 だがこの回想は嘆きと諦めの色彩を帯びながらも、浮動してゆく生活のあけくれ、
残された者たちの肩につみ重ねられてゆく重荷の中で常に新しい涙を加え、血の
したたりを増してゆく性質をもち、また原爆の極度に残虐な経験による恐怖と、
それによって全く改変された戦争の意味するものに対する不安と洞察によって、
涸れた涙が、凝りついた血が、ごつごつと肌の裏側につき当るような特殊な底深
さをもつものとなっている。

   中略

 尚つけ加えておきたいことは、私が唯このように平和へのねがいを詩にうたっ
ているというだけの事で、いかに人間としての基本的な自由をまで奪われねばな
らぬ如く時代が逆行しつつあるかということである。私はこのような文学活動に
よって生活の機会を殆んど無くされている事は勿論、有形無形の圧迫を絶えず加
えられており、それはますます増大しつつある状態である。この事は日本の政治
的現状が、いかに人民の意思を無視して再び戦争へと曳きずられつつあるかとい
うことの何よりの証明にほかならない。
 
 又私はいっておきたい。こうした私に対する圧迫を推進しつつある人々は全く
人間そのものに敵対する行動をとっているものだということを。
 この詩集はすべての人間を愛する人たちへの贈り物であると共に、そうした人
々への警告の書でもある。

一九五二年五月一〇日
峠 三吉
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by oguni-folke | 2014-08-15 08:32

広い河の岸辺

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ちょっと長い話にはなりますが、、、

独立学園(私の母校で今も3年生に授業を)を創設した鈴木弼美(すけよし)校長が東京から移り、この地で生活を始めたのが1933年、ちょうど日本はあの戦争に突入をしていくさなかだった。

内村鑑三の意思を受け継ぎ、この地で学校を開き、キリスト教を伝えたいと言う壮大なビジョンは、しばらくは戦争の嵐に翻弄されていくのだが、その困難の中で、地元で当初から賛同し鈴木先生を支えたのが、下叶水地区に住んでいた渡部弥一郎(やいちろう)さん。やがてキリスト教徒となった弥一郎さんは、1944年には治安維持法違反に問われ、鈴木先生と共に山形の特高に捕らえられ、2人で約8ヶ月間拘置もされた(やがて不起訴となり釈放)。
弥一郎さんの息子さんの良三さんは中国戦線で、捕虜となった中国人を試しに殺す役割を拒否したことでも知られている。

私が在学していた頃の弥一郎さんは、多分学園の理事であったと思うが、興味深いお話を何度もうかがったものだった。弥一郎さんの存在がなかったら、独立学園がここまで続いていたかどうか。そして、独立学園での3年間がなかったら、私が音楽に生きることもなかっただろうから、弥一郎さんは私にとっても大切な人だった。

さて、それが表題の「広い河の岸辺」とどうつながるのか?

 花子とアンにも紹介され、今全国で歌われ始めているこの歌、今年のうたごえ宮城祭典でも歌うことになっているが、この歌の訳詞をし、これまでも自ら演奏してこられたのが長井市出身の八木倫明さん。この人こそ渡部弥一郎さんのお孫さんなのだ。つまり血の半分は、ここ叶水地区出身のかたということになる。

弥一郎さんの家の屋号が(はしもと)であり、大きな河の橋のほとりにあったことは偶然の一致だろうが、倫明さんは小学校時代、休みになるとこの家によく遊びに来ていたというから、何かがあるのかも知れない。時という幾すじかの河の流れをさかのぼると、実は水源でつながっていたというのが面白い。
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by oguni-folke | 2014-08-14 10:02

牧場の朝

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今頃は早朝カーテンを開けるとこんな景色

 ここは牧場ではないが、小学校4年生の時の音楽の時間に何度も歌って好きだった「牧場の朝」を思わず口ずさむ。この歌、日本の歌100選にも選ばれていて、舞台は福島県鏡石町の岩瀬牧場だといわれているそうだ。なるほど。
 そういえば、♪「霧のなーかに浮かびくるー」尾瀬も半分福島県。東北の夏の朝は、霧の中から明けてゆくようだ。

 「牧場の朝」を教えてくれたW先生、今もご健在だろうか。私のことは特別に可愛がってくれたが、「ただ一面にたーちーこーめた」までを全部おなじCコードで(ドソミソで)伴奏されるのには、ほんとうはちょっと困っていた。

そんな先生にぴったりの講座が8月17日音楽センターで。 夏の講座
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by oguni-folke | 2014-08-13 05:52

声なきものの声を聴く

 8年前の10月、当時のフォルケ生Jetty君とスタッフ3人で岐阜のゴーバルを訪ねた。フォルケの修学旅行のその途中、長野市松代の地下壕「松代大本営」を訪ねた記録をフォルケ日誌に書いている。 フォルケ旅行・狂気のあとを歩く

今その看板の文章が話題になっているようなので、その文章をもう一度読み返したが、訂正する箇所がどこにあるというのだろうか。


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 どんなに都合の悪いことは覆い隠そうとしても、70年近い歳月が流れても、歴史の真実と悲惨は変わらない。巨大な地下壕から今も聞こえてくるのは、亡くなった人たちの叫びであり、二度と戦争をしないという平和への強い願いだろう。

**
そのときのゴーバルの皆さんとの一枚
この春に亡くなった真木子さん(わんちゃんといっしょ)の笑顔を再掲
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by oguni-folke | 2014-08-13 03:49

カモが!

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我が家の小さな池にカモが3羽。親子でしょうか。かわいそうなカモの歌を作ったからか、それとも我が家の庭が草ぼうぼうで野生化しているからか。残念ながら、ネギはしょっていないもようです。
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by oguni-folke | 2014-08-08 11:15

花に埋もれて

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幸せなあまがえる
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by oguni-folke | 2014-08-02 13:15