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わが母の記

この連休中、せめて一日くらいはオフにということで、映画を観に同居人と2時間かけて福島まで行きました。(どうせ行くなら福島で)井上靖の自伝的な原作で「わが母の記」。話題の映画の一つですね。

よく行き届いた演出で、映像も美しいいい映画でした。ただひとつ、ちょっと「わたし」の顔も立ち居振る舞いもかっこよすぎるのが気になりましたが。現実は、、、こうはね。

満席の客席には、ほとんど私たちの世代ばっかり。みな身近に同じような「母」や「父」を持つものばかりの団体さんのようでした。

帰りは妻の実家(伊達市)で、現在の福島の「生の声」をたくさん聞いて帰りました。
明日から5月、準備の日はあと4日です。がんばろお!

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半年間、南西の日本を旅して、数々の経験をしてきた外山少年が元気に帰還し、子ろばの家に滞在しています。
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by oguni-folke | 2012-04-30 21:07

ローマの休日

華子先生が7年前、83歳の時にローマを旅した時の楽しい貴重な記録の一端です。ローマ在住の卒業生で、言っていることはたいてい冗談だけれど、冗談ではなく世界的な芸術家である加藤朝美さん(私の1年先輩・男)の文章で。お別れの会に寄せられたものを、著者の許可なく一部掲載させていただきます。

俳句も華子先生作

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夏旅は 永遠の都 ローマへと

わたしの唯一のお願いを叶えてくれるなら、冥土の土産にローマが見たいわ、とハナコ先生。じゃあ、「メイド」イン・イタリーですねと言うと、「アハハハハぁ、朝美さん、わたし本気なのよ、ローマに行けたらもう死んでもいいわ」

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教え子は 白髪となり 汗の手を

予約をした帰りのローマ行の電車にぎりぎりの時間になってしまった。ハナコ先生のゆっくりした歩きでは完全に間に合わない。そこで恋人同士のように手をしっかりと握り、騙し騙しに「イチ、ニ、イチ、ニ、行進、行進、イチ、ニ」と強引に引っ張って駅を目指した。フィレンツエの旅で手に汗握る一場面だったかもしれない。それにしても季語でないのに、この「白髪」はひどいよね。

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八十路来て ローマの休日 夾竹桃

「80代になってしまい、嫁に行く場もなく、、、」
・・・って先生、まだ再婚を考えていたんですか?

「違うわよ!余命いくばくも無く、って言ったのよ。私は忠雄センセだけよ。」

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ふふふ、続きを読みたい方は、華子先生お別れの会にどうぞいらして下さい。真面目なものもたくさん。
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by oguni-folke | 2012-04-28 08:46

あと9日

26日

お別れの会への準備が続きます。

華子先生と親しかった小国の加藤印刷さんへ、当日プログラムの印刷お願いに。音響の相談は津島屋電気店さん。お弁当のナチュラルハウスにも相談に。町のみなさんも協力してくれています。

夕方、秋田の仁賀保から45期生カップル、土田ファミリーが子ろばの家に来訪。蒔子ちゃん、太陽君も大きくなりました。「生きる」を一番最初に歌ってくれた、元高校生たちです。とても出たいけれど、お別れ会には来れないので、と。

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ところで原発問題。地元の町だけにこんな重大な判断をゆだねていいの?

と、思わない人のほうが少ないと思うけれど。この町に学校を作るかどうか、というような問題ではない。極端に言えば、世界中の人に、世界中の生き物に聞いて下さい。

地元の人たちの賛否は、全く福島やほかの地域(過疎で仕事がない)と同じ構造。恐怖と利益の共存。原発を稼働しなくても、過疎の町の人が安心して生活できるシステムを作れないか。
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by oguni-folke | 2012-04-27 08:41

春のとびら

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つくし
雪に覆われていた固い土を押しのけて、今年も顔を出しました。

「春が来たなあ。」
ちょっとくたびれてきた私ですら、体の中から湧いてくるような力を感じます。

でも、この時期がつらい、という人たちもいます。季節は激しく動き出しているのに、動き出せないでいる人たち。また、闘病を続けている人たち。願いが叶わなかった人たち。そして、ふるさとの桜を、今年も見ることができなかった人たち。

歓びも悲しみも、さまざまな現実を包みながら春の扉が開いていきます。

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25日

お別れの会のための歌練習が続きます。
3年生で、1、2年の有志で、男声合唱で、、、。

華子先生には、直接に授業を受けたりしなかった人たちですが、みんな熱心に練習をしています。
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by oguni-folke | 2012-04-26 08:29

解体作業

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解体される独立学園旧校舎と講堂

あまり見たくない写真ですね。でも、一つの記録として。
口直し、いや目なおしに、ちょっと幻想的な今日の叶水風景を

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今日の授業は「悲しみよ」(水野源三詩・吉原康曲)
私は20年ぶりにこの歌を。
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by oguni-folke | 2012-04-23 15:34

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小国への帰途、埼玉県滑川町で、4月21日



うーーん、やっぱり春は花ですね
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by oguni-folke | 2012-04-22 06:06

朝のバイク

先月卒業したA君が、なんとこの町にいることがわかり、さっそく昨日電話をしてみた。
聞きなれたよく響くバスの声。新聞配達をしながら大学に通っているのだという。朝刊の配達と集金が彼の仕事。

「朝早いんでしょ?」
「えー2時から折込です。」
「2時!」
「でも、もう慣れました。」

牧場の早朝の霧の中で働く、彼のおじいちゃんおばあちゃんの若い日の姿が浮かんだ。16歳の私が胸を躍らせて初めて北海道に行き、酪農実習をさせていただいた日からもう42年!

今朝4時、新聞を配るバイクの音で目が覚める。
彼ではないだろうけれど、これまで気にも留めていなかった音が、急に身近に感じられた。

「ごくろうさん。気を付けて!」
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by oguni-folke | 2012-04-21 06:22

夜桜

緩やかに、またある時は急激に年老いていく両親を見ながら、
老いということを、人生の終わりということを、深く考えさせられている。

夜、自由の森の理事会を終えて駐車場に戻ると、車は前が見えないほどの
桜の花びらで埋もれていた。

冬に送った、身近な人たちのことがふっと思い出された。
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by oguni-folke | 2012-04-19 17:10

歌が泣いている

君が代が国歌として是か非か、ということではない。それが君が代であろうと、何の歌であろうと、歌を強制して歌わせてはいけない。それでは歌が泣いている。

歌は心でうたうものだ。歌は心の一番大切なところから鳴りだす。
歌はこころなのだ。

そして、心はみんな違う。いっしょに歌える歌もあるけれど、1人で歌う歌もある。
泣きたいほど歌いたいときもあるけれど、声にならない日もある。

歌は自由な時にこそ歌なのだ。歌うな!といわれても、魂の歌はいつまでも歌われるけれど、歌えといわれても、どうしても歌えない歌もある。

強制して歌わせて、教師もみんながそれに従ったとして、その中で行われる教育で、一人一人の個性を伸ばすとか、他者の痛みを推し量れるとか、新しい日本を切り開くエネルギーに満ちた、わくわくするような若者が育つと思うのか、はしもとさん。

ルールを守れという教員がルールを守れんでどうする、というのであるならば、こどもたちの一人一人の心を大切に守り、はぐくまなければならない教師が、それを踏みにじってどうする?


きみの原発政策に対するきっぱりとした発言を、時には快く思うものとして言おう。君のような若者は、この教育の中では育たないよ。ものをいわぬ兵隊の予備軍を、育てようとしているわけではあるまいね。

校長がこどもを見ずに、教員の口元をチェックしている国で、北朝鮮の自由のなさを批判できるのだろうか。

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4月18日

高校の朝礼で、お別れの会で歌う、特別合唱団員募集の呼びかけ。3年生はクラスとして参加するが、他のクラスと職員は有志参加で。

その後、民生委員として、(いつも何もしていなくてすみません)町の職員と一緒に家庭訪問

引き返して3年生との3回目の授業 お別れの会で歌う「光の中に」
卒業した人たちの歌を聞いているので、こちらもすぐ歌えるようになった。

午後は埼玉へ。自由の森の理事会。終了後実家へ。

というわけで、しばらく埼玉からの発信です。 
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by oguni-folke | 2012-04-18 22:37

貧しく、楽しく生きる

 原発再稼働に思う

 たとえば、原発下請けで働いている、決して豊かではない人たちもたくさんいるわけで、この問題が簡単ではないことはわかりますが、毎度言っていますが、とどのつまりは、私たちが何を一番大切にこの社会を作ろうとしているのか、ということが問われるのだろうと思います。

 世界を見れば、それでも日本は経済的には豊かです。当たり前になっていた、飽食をして電気も資源も使いまくって、というこれまでの生活を3.11を契機に見直して、社会的弱者に光をあてつつ、国全体でもっと質素な暮らしを求めることと、原発のない安心の社会を作ることを連動していかないと、絵に描いた餅になりかねません。

 貧し過ぎることは悲しいですが、中くらいな貧しさは決して不幸ではないと、昭和20年代、30年代を生きた人たちは知っているはずです。そして、わたしたち独立学園で学んだ者たちも。

 東京での「超」と冠してもよいような、裕福な生活を惜しげもなく捨てて、東北の僻村(地元の人ごめんなさいね)に生涯を貧しく、質素に生きた(そして楽しく生きた・ここが重要)わが独立学園の鈴木校長ご夫妻や、華子先生のご家族(桝本家)のみなさんの生き方を知るものとして、改めてそのことを思います。

 とりこわされていく旧校舎をみて、ここに鈴木校長ご夫妻は住んでおられたのだ、と思ったら、そして、古い男子寮の暗い部屋に、暖かく生きておられた華子先生たちご一家のことを思う時に、涙があふれます。

大げさに言えばここに、原発のない社会を目指すための答えがあったのです。卒業生のみなさん、そう思われませんか?
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by oguni-folke | 2012-04-15 14:31