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お別れの会

31日

2月に亡くなった華子先生のお別れ会の準備会が開かれました。(同窓会・独立学園教職員共催)
詳しいことが正式に決まってから、このブログでも詳細を発表ご案内をしますが、日時だけは決定です。

5月5日(土) 午後1時半より3時半 

華子先生のご生涯をしのぶだけではなく、先生の最後の歌「光の中に」にあるように、希望のバトンを託された私たちがそれを深く受けとめて、音楽と喜びに溢れた会にしたいと思っています。
わたしは音楽の担当。
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by oguni-folke | 2012-03-31 18:41 | Comments(0)

やわらかな朝

29日

午前中は新潟へ、夕方からは叶水小中学校の先生たちの送別会があった。
昨年は震災直後で中止になったので、2年ぶりに。

最近は学校も遠くなってしまって、お別れ会で初めてお会いする「はじめましてさようなら」のかたまでいる。
皆さん、こんな雪深い山奥まで、毎日ご苦労様でした。

お別れの会が終わり、今年度の行事は全て終了。

***
30日
 
今朝起きると、風がやわらかくなっていた。雪はまだまだ厚く積もっていて、景色はまだ冬のままだけれど、ちょっと胸が高鳴った。

しばらく滞在していた娘たちも、相次いでそれぞれ自分たちの世界に戻っていった。
次の季節がやってきている。

今日は、埼玉からここに家族で移って、21周年記念日
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by oguni-folke | 2012-03-30 10:26 | Comments(0)

見てる?

27日

自由の森学園の理事会が夜あり、新潟経由で飯能へ。早く到着したので、音楽科の重山さんとは少し音楽の話、そして高校長の鬼沢さんとは田中正造と足尾鉱山の話。
実は先日のフォルケブログは、鬼沢さんの卒業式の話から引用させていただいたのだ。

ところが翌朝、実家で朝刊を開いてみると、、、!
なんと朝日の天声人語氏、このことをそっくり引用しているではないか。(28日付)ひょっとすると、このフォルケブログを見ている?なんてはずはないので偶然だろうが、忘れかけていた足尾鉱毒事件や田中正造に俄然興味が。

100年前にすでに、この国には今回の原発事故のさきがけ?があったのです。
だからというわけでもないですが、帰りは福島まわりで帰りました。
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by oguni-folke | 2012-03-28 15:53 | Comments(2)

田中正造

真の文明は  山を荒らさず
川を荒らさず 村を破らず
人を殺さざるべし

足尾鉱毒事件で戦い続けた、田中正造のことばだそうです。
100年前のこのことばは、私たちに鋭く迫ります。

毎年自由の森学園では、100年以上たった今も人が住めない足尾銅山跡に、授業で出かけています。

***
午後小雪の中を、その自由の森学園の1期生が2人、子ロバの家をたずねてくれました。懐かしい楽しい時間でした。彼らは今42歳、いい年齢ですね。私がノルウェーの、音楽フォルケホイスコーレの生徒になったのも42歳の時でしたが、そのとき、そのフォルケの校長は41歳で、私よりも年上の教員は1人だけでした。

そんな年齢の生徒を(奨学金まで出して金銭的な負担を一切かけさせずに)快く受け容れてくれたノルウェー人の度量の広さ、改めて驚くばかりです。これぞ真の文明国なのでしょう。
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by oguni-folke | 2012-03-25 11:02 | Comments(0)

おわかれ

天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
(コヘレトの言葉3章1節・旧約聖書)

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 長く使われてきた独立学園の講堂・旧校舎・旧男子寮が、老朽化に伴い解体されることになりました。当時としては、山形県第一号だったパイプオルガンも、すでに取り外されています。

 この講堂にはたくさんの歴史と思い出が詰まっていて、万感迫るものがあります。

 谷川岳で亡くなった秋野君は、身体からほとばしる思いを込めて、ここでピアノを弾いていました。三十年以上にわたるクリスマスの劇も、卒業式のハレルヤコーラスも、そして忠雄先生、校長先生、うめ子先生、ひろ先生、最近の奥田先生まで、ここはお別れの(葬儀の)部屋でしたし、個人的な話ですが、私達夫婦にとっては出発の場所(なんと結婚式場)だったのです。

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3年生の教室
いつもちらかっていたなあ。
ここで勉強、しましたか?








男子寮の廊下
狭いなあ
2階の4番目の部屋が、15歳だった私の部屋でした。
雪解けの川の流れの音が気になって、最初の夜は
眠れませんでした。
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校舎の一角にあった鈴木校長先生ご夫妻の部屋
この扉の向こうから、パジャマ姿の鈴木校長が現れそうです。
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by oguni-folke | 2012-03-24 15:19 | Comments(2)

季節外れの深雪

20日

蒜山を昼前に出発、長距離をフリーダムの3人に送っていただいて、すっかり春の岡山駅へ。新幹線がストップしていて、ヒヤッとしましたが、無事に山形新幹線に間に合い、夜遅く山形へ帰ってきました。

ところが山形は季節外れの大雪!特に国道から入るとわだちがわずかに残るのみ。
ほうほうのていでしたが、なんとか無事に小国の我が家に戻りました。

21日

一夜明けて、南からは桜開花のニュースも飛び込んできているのに、ここはまだまだ雪の季節、積雪はまた300センチを超えている感じです。やれやれ。

朝はゴーバルの石原さん来訪、昼からは福島の姪を迎えに米沢へ。昨年の今頃は、一家で子ロバの家に避難してきていて、這い廻るヘクサ虫にキャーキャー騒いでいましたが、すっかり大人になって、今回は虫に逢っても平然。

米沢でからころセンターに久しぶりに顔を出すと、5、6年前にフォルケに来ていたT君の穏やかな顔。こちらもすっかり大人になりました。
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by oguni-folke | 2012-03-21 21:42 | Comments(0)

広島から蒜山へ・平和と自由への旅

19日

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広島3日目

広島うたごえ(広島合唱団)の山岡さんにガイドしてもらいながら、午前中は爆心地周辺を歩き、最後は資料館へ。資料館は2回目でしたが、丁寧なガイドを聞きながらだったこと、フクシマの後だったことなども重なり合って、前回とは迫り来るものの重さが違いました。

何事もなかったかのような、今は平和な町並みを見ながら、一昨年長崎で感じた同じ思いを強くしました。

このできごとを繰り返してはいけない。なんとしても。
語り継がなくてはならない。なんとしても。
核兵器が全てなくなる日まで。

***
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午後からは、三次の合唱団「イフ」の佐々木さん運転の車で、はらださん、イフのかた2名と、岡山県の蒜山(ひるぜん)高原へ移動。

ひるぜん、ちょっと不思議な名前の美しい高原、ここへはもう30年以上も前から来たいと思っていましたが、それがとうとう実現したのです。

車でつれてきてくださった佐々木さんはもちろんですが、フリーダムの原田義雄さんご夫妻、神谷さん、やまぼうしのかたがたに、とてもお世話になりました。ありがとうございました。

夜の交流歌の会には、岡山から2時間かけて、岡山合唱団のいつも元気な石原さんたちも。フリーダムの3人(下の写真・載せてよかったかな?)とは年齢が近いこともあり、明け方まで話し込んでしまいましたし、翌日は岡山駅まで3人で送っていただきました。

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フリーダムの歌は私は大好きで、CDはもう擦り切れるほど(CDはたぶん簡単には擦り切れませんが)聴いています。こんなに近くで聴けて幸せ!

やまぼうしの歌は、叶水のららら合唱団のこれから進む方向に示唆を与えてくれました。

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by oguni-folke | 2012-03-21 16:24 | Comments(2)

広島で

午前中は、独立の卒業生で、広島南部教会で牧師をしている浜田君の教会を訪ね、礼拝に出席させていただいた。良い響きのオルガンがあって、暖かな雰囲気の教会だった。はじめて会った時の彼は中学生、今や立派な牧師となり、この地でよい働きをされている。うれしい久しぶりの再会となった。
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広島南部教会

午後は広島のうたごえの人たちと歌の会。前半は話を中心に、後半は歌を一緒に。
歌は「生きる」の他に、初めて「風よふるさとよ」も。広島県内の10?ぐらいの合唱団や歌のサークルなどが集まって、県としての活動も25年になるとか。大変なこともいろいろあるだろうけれど、高田さんをはじめとしたみなさんの、歌にかける熱い思いに、ただただ驚くのみです。

生きた歌がここにはありました。

その模様を小澤さんが書いてくださっています。かなりこそばゆいですが
9さんブログ

あっという間に3時間がたち、夜は広島うたごえの大パーティに。歌もたくさんみんなで歌い聴きました。
最後は「ヒロシマのある国で」の大合唱。その輪の中で、独立学園の教員を長くされていた、広島出身の奥田先生(昨年ご逝去)のことを思い出していました。
毎年夏になると、先生が語ってくださった広島被ばくの話を、私たち生徒は息を飲んでうかがったものでした。

「奥田先生、先生のふるさとに来ましたよ。先生の好きだったヒロシマを歌いましたよ。」

フォルケには、独立学園の42期生(私が母校に戻って最初の3年生・卒業後20年)がたくさん、家族も一緒に訪ねてくださったとか。会えずに残念。
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by oguni-folke | 2012-03-18 23:39 | Comments(2)

たびだち記念日

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3月17日

今日3月17日は、私が高校(独立学園)を卒業した日。あの朝のりんとした空気を忘れません。

あれからちょうど40年。

この40年いったい何を生きてきたのか、誰と何と出会ってきたのか、などとしみじみと思うまもなく、今日はこれから広島・岡山へ向かいます。どんな出会いがあるのでしょう。
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by oguni-folke | 2012-03-17 06:43 | Comments(0)

震災一年その2

瓦礫処理の問題

島田市がようやくがれき処理を引き受けることに、というニュースを聞きながら、いろいろと考えさせられている。

それぞれの自治体の事情もあるとは思うけれども、これは誰かが、どこかが、あるいはみんなで担わなければならない問題で、なくてもいいものの建設に反対、とかいう問題とは質が違うのではないのだろうか。

受け入れを反対している人に問いたいのは、「じゃどうするの?」

これは海のこちら側の人間にとっての沖縄の問題と似ている部分もあるのかな。(ただ、いっしょくたにはしないほうがいいのだろう)

岩手県の瓦礫に含まれる放射能について心配している人たちをみて、正確な知識や情報は必要だなと思う。
そういう私も綿密に調べているわけではないが、岩手県の大気中の放射能は、東京あたりと変わらないのではないだろうか。

地理の勉強も必要です。東北というと、また福島というと、全て一緒だと考えている人たちが多すぎるような気がする。福島だって会津の山奥のほうは、浜どおりとは全く違う世界です。
(浜どおりだっていろいろだろうけれど、、、どちらにしても悲惨です。)

それに、島田市がようやく東北以外では2つ目の受け入れ自治体だなんて、、、。
絆がどうだとか、空疎な美しいことばを言わんでほしいなあ。
(山形県は隣ということもあるけれど、いち早く受け入れを表明、えらい!)

瓦礫やヘドロに埋まっているのは、実は多くの日本人の心なのではないかと思ってしまう。私もその1人だけれど。

だからといって、闇雲にすべての自治体に強制的に割るふるというのもいいとは思わないし。それこそじゃどうしよう。

札束で人気といい選手を勝ち取っている某球団といい、雪降らない予報だったのに、ざくざく雪は降るし、今日は腹立たしい一日だった。

と思っていたら「瓦礫受け入れ続々」だって。
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by oguni-folke | 2012-03-15 20:40 | Comments(2)