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10ヶ月

31日

フォルケ卒業生のIさんが雪の中を訪ねてくれて、午後3人でたくさんの話をした。2011年の最後の3日間は、ここには記せないことも含め、少しだけフォルケらしい時間を過ごしたかな、と思う3日間だった。

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原発の歌(原発のない社会をめざす歌、だけれど略して)を考えながら、これだけのことが起こったのに、そして、これだけの悲しみが覆っているというのに、この国の何が変わったのだろうと思うと、やるせない脱力感に襲われる。しかし、あきらめてはいけない。

何度も書いているが、原発のない社会を考えるときに、単にいまある原発を廃止したり、稼動させないというところにとどまらず、ではエネルギーをどうするのかという議論でも終わらず、それではどういう社会をめざして(創造して)いくのかという展望、そのための議論や努力なしには考えられない。

それはこの国に住む一人一人、特に弱者にとってのほんとうの幸せとはなにか、というような本質的なところからスタートしなくてはならないが、そのためのきっかけを、私たちは3月11日に与えられたのだと思う。
ふるさとを追われた福島の人たちの、悲しみのはかり知れない深さを、私たちはけっして忘れず、ことあるごとに心に刻もう。

昨夜も仙台の人と話したが、震災はまだ何も終わってもいないし、何も始まってもいない。
年は新しくなり、また1月がやってくるが、震災に始まった日本の新しいカレンダーは、もうすぐ10月を刻む。

雪はしんしんと降り続き、やむ気配がない。

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川崎君はクリスマスの2日間、石巻の仮設住宅の、特に一人暮らし世帯での棚つくりなどをしてきました。仮設の狭さは、住む日にちが増すにつれて大きな問題となってきているようです。
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by oguni-folke | 2011-12-31 23:03

望年会

29日~30日

2日間山形市に。

まず、山形センター合唱団の望年会(あえて昔からこう名づけていたとか)に参加。山形市沙羅にて。数時間にわたってみんなで語り、飲み、歌いまくりました。仙台合唱団の方などもご一緒に。センター合唱団のみなさんには、今年も小国の夏のコンサートに出演していただいたり、ずいぶんお世話になりました。山形泊。

翌日はSさん宅を訪問(こちらのほうがメイン)。やはりご本人には会えませんでしたが、手紙を置いて帰りました。2012年は会えたらうれしいな。このブログを読んでいてくれたら、もっとうれしいな。

山形市は15センチくらいの積雪でしたが、ここ大石沢は150センチをはるかに超えていて、同じ山形県なのにその違い!夕方はさっそく雪堀でした。あ~つかれた。
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by oguni-folke | 2011-12-30 19:51

何を歌うのか

 「原発ゼロの社会へ」がテーマの歌つくりの企画が進み、うたごえ新聞新年号に詞の入選作が発表された。次のステップはこれに曲をつけることで、うまくできるかどうかわからないが、私もチャレンジをしてみようかと思う。(参加することに意味が)

 ここは山を越えたら福島県という近さもあるが、同居人は福島伊達出身だし、親族や友人もたくさんいるし、何より今年は、南相馬や浪江から小国町に避難してきた人たちと親しくなったこともあり、(もちろんそれだけではないけれど)、誰の作品であっても、よいものができるといいと願う。

 ただ、当事者でない私たちが、どこまで被災された人たちの心と響き合えるのか、その悲しみをどこまでを歌にして良いのか、いつもの問いの前に、いつものようにまた立ち止まる。

 11月のオリジナルコンサートの講評のなかに、こう書いた。(一部加筆修正)

 今回多かった震災関連の歌、特に被災地以外から発信された、応援のメッセージをこめた歌について、共通の思いがあります。今回のコンサートの会場にいた被災地のかたが、「気持ちはわかるけれど聞いていると苦しくなる」という感想を語ってくださいました。いい歌だし、作者の願いはよくわかるものの、いくつか私にも気になってしまう歌がありました。それは、被災者側の現実と、作者(わたしたち)の(こころの)距離を感じるからでしょうか?

 「ハイタッチ」の歌詞の中に、「重い心を持ち上げるときに言葉はいらない」という部分がありますが、被災され、家族やふるさとを失った人たちの前でまず私たちは、手をとってただ黙って一緒に泣くこと、話にうなずくことくらいしかできないように思います(物的な支援はあります)。こんなときに、歌に乗せて何を届けたらよいのだろうか。これは私の課題でもありますが、ことばも音も、いつも以上に精選される必要を感じます。

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 歌は聴く人の心の中の、もっとも大切な部屋に入り込んでいくので、送り手は十分に気をつけなくてはならない。(そしてこれは、若者への支援の場でも同じなのだろうと思う。)

 ただ、今回の企画に限って言えば、福島の人たちへの慰めや応援の歌というよりは、この国の未来へ向けてのメッセージソングや応援歌でもあり、そこにとどまり続けることもないのかもしれないが。

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 雪はとりあえず小康。このまま新年を迎えられたらいいけれど。
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by oguni-folke | 2011-12-29 10:10

雪おろし

26日

午後、4日ぶりに雪の小国に戻りましたが、我が家もフォルケも山も森も、すっぽりとふかい新雪に埋もれていました。小国町の公式記録によれば、わが叶水の今朝の積雪は124センチ!さらに標高の高いここ大石沢はそれに消費税分5%を足して、、、130センチはありそうです。

明日は朝から除雪作業かぁ、、、。

27日

雪は降り続き、積雪は140センチを超えました。午前中はAさんとの今年最後の勉強、午後からは屋根に上って雪を下ろしました。気になっていた屋根の雪を下ろすと、便秘が解消したときのような爽快感・安堵感があります。

28日

積雪は早くも150を超えました。10日で120センチ、こんなペースが続けば、2月には10メートル?
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by oguni-folke | 2011-12-26 23:21

恩師を訪ねる

12月24日

これまでお世話になった先生はたくさんいますが、私にとっての恩師をただ一人選べと言われたら、もちろんこの人しかいません。間もなく91歳になる、その桝本華子先生を川崎に訪ねました。

1968年の秋、14歳だった私ははじめて、山形県小国町の山奥にあるキリスト教独立学園を訪ねました。雪国の自然の美しさと、とうてい学校とは思えないぼろ校舎にすっかり一目ぼれをしてしまって、その学校で3年間を過ごすことになるのですが、そこで、音楽の先生だった(なんと60年間も)桝本華子先生に出会わなければ、今頃私は全く別の人生を送っていたことは間違いありません。

 華子先生の音楽の授業はほとんどが合唱でした。華子ワールドにすっぽりと取り込まれてしまったわたしたち高校生は、知らず知らずのうちに歌の楽しさを知り、音楽の深さや素晴らしさ感じとっていきます。
私もその一人でした。

 その華子先生に「武さんは作曲に進んだらいいわよ」と言われて、その気になってしまった17歳の私が、何も知らないまま音楽の世界に飛び込んだのはすでにここにも記しましたが、それから40年がたって、結果的にはその一言が今の私につながっています。胸を張れる生き方は何一つできなかった40年でしたが、それでもいくつかは生まれた、私の歌の源泉がここにあります。

 フォルケの創立にも大きな応援をしてくださっています。牛小屋を改造して作った建物(シオンの家)に、何度も足を運んでくださいました。

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 今日訪ねた華子先生は闘病中ですが、思ったよりお元気そうで、2時間以上もいろいろとお話をしました。華子先生の前で、私は少年に戻ります。思い出の歌たちもたくさん歌いました。俳句や詩も先生は書かれるので、数少ないですが、華子詞、私曲、という歌もあります。それも、、。

大切な話もしました。最新の作品も聴いていただきました。

いいクリスマスイブでした。生涯、きっと忘れることのない一日になりました。
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by oguni-folke | 2011-12-24 23:33

まごころコンサート

22日

独立学園のクリスマス

ことしの講師は、福島第一原発から5キロのところにある福島第一聖書バプテスト教会の牧師、佐藤彰さん、この人からでしか聞けない貴重なお話でした。今年のクリスマスに、もっともふさわしいゲストだったでしょう。

その後の会食では、準備してきた高校生たちの歌をたくさん聴かせてもらい、そのまま埼玉へ。

23日

家族内のイベントで恐縮ですが、埼玉・鴻巣市で、私の両親にとっての孫たちによる小さなコンサートでした。名付けてまごころコンサート。若い音楽家とその卵たち5名に、私と私のこどもたち2名も加わって。

音楽のスタイルはそれぞれ、楽器も5種類。最後は2人併せて169歳の両親による2重唱?も。

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山形はしんしんと雪が降り積もり始めました。川崎君は石巻・仮設住宅支援へ。
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by oguni-folke | 2011-12-24 07:42

ペレットストーブ

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20日

小国の友人、ペレットマンさんからペレットストーブを購入、今日設置しました。
燃料のペレットは全て小国町の木材から作られたもの。エネルギーの地産地消ですね。いまなら小国町から補助が出ることもあります。
つけてみると、、、石油ストーブ(ファンヒーター)2台よりも暖かいですね。燃料費も多分お得、、また報告をしましょう。

フォルケに滞在する人の中で、煙が苦手な人がいることもあり、これまでのまきストーブはしばらくお休みです。

ペレットストーブ、皆さんもいかがですか?
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by oguni-folke | 2011-12-20 17:53

地震の支援17・仮設住宅の収納スペース

仮設住宅の防寒対策については、9月頃から微力ながら応援(ボランティアの派遣・車の提供など)をしてきましたが、仮設のもうひとつの課題として、狭いために、だんだんものが増えてくると収納するスペースがないことがあります。

そこで、高齢者、障がい者などの家をまず手始めに、空間を利用した無償の棚つくりなどのプロジェクトが始まっていて、川崎君がすでに現地で、その辺で手に入るものを利用したモデルを作るなど、活動をはじめています。次の週末にも、彼は石巻入りの予定ですが、この活動もフォルケで支援をしていこうと思います。

また写真などもいれて、報告をしましょう。
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by oguni-folke | 2011-12-19 22:24

地震の支援16

白い森支援隊の反省会

17日(土)

震災直後から、白い森支援隊と名づけて、小国町の仲間たちでできる応援を続けてきましたが、一応1年の終わりということで、かかわっていただいた人たちにも声をかけて、夜反省会をしました。中締めという感じで。

いくつも報告がされました。たとえば、無洗米にする機械を持っていたIさんは、この間250俵(15トン)の米を精米して、小国から被災地に送ったこと。震災直後から始まった炊き出しで、多くの人たちのいのちと健康を支えたこと。被災地に残した幼い子どもたちや妻と連絡が取れず、休暇をもらって現地にむかった若い警察官の話も印象的でした。歩いてたどりついた避難所で、家族と出会えたときには、ただ涙を流すだけだったと。

建設会社や、お寺、農業者、元校長やガス屋、農協につながるおばちゃんたちなどなど、あらためて、小国町の多方面の人材や技術が結集したことがもっとも良かったことだったと思います。それに資金の提供やボランティアも含めて、われわれフォルケもつながらせてもらいました。(フォルケ地震基金のおかげです・感謝)

今回は、石巻の渡波小学校の避難所で、震災直後から常駐して支援を続けてきた方にもゲストとしてきてもらい、その後の報告も聞きました。(ここは、白い森支援隊が特に力をいれて応援をした場所で、震災後半年近くにわたって、小国町からのなべ、かま、ガスなどが活躍していました。)

炊き出しは、当初は1500人の食事を用意する必要があったわけで、ボランティア3、4人ではとても対応できず、避難者の中からも出てもらって作ったこと。ただその人たちも、だんだん息切れがしてきて、そこで考えたのが、それを仕事として賃金を払うことにしたこと、その結果そこで20人ほど雇用された女性たちが、だんだん元気と希望を取り戻し、重い絶望感に覆われていた避難所が、そのことからもだんだんに明るくなっていったこと。その後10月に避難所が閉鎖された後も、その人たちが中心になって、弁当屋を最近はじめたこと、、

ほかにも貴重な証言や報告はあったのですが、結論として、どこかの総理のように、これで終わりなどトンでもない、まだまだわれわれもできることをしていこう、ということで終わりました。
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by oguni-folke | 2011-12-19 10:47

ホワイトクリスマス

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毎年恒例の、高校生によるキャロリング。それにあわせて、ららら合唱団大石沢地区クリスマス会を。

外はいよいよ冬本番。30センチの積雪です。


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by oguni-folke | 2011-12-17 10:52