洪水

私の勤める土浦めぐみ教会は桜川のほとりに立っている。それほど大きな川ではない。大声を出せば、向こう岸とも対話ができそうだ。河岸には桜がずっと植えてあって、春は特に美しい。2キロほど下流の霞ヶ浦に流れ込んでいるようだ。

この桜川が、私が生まれる前、1950年に氾濫した。その大洪水が私の人生に大きな意味を持つことが最近わかって驚いている。

もし、の世界にはなるが、もし私が独立学園で、桝本先生ご一家と出会うことがなかったら、音楽の道に進むこともなかっただろうし、そもそも独立学園に桝本先生ご一家がいなければ、独立学園だって今の形で存在しているかどうかも怪しい。

藤尾正人著「一世紀はドラマ」によれば、桝本うめ子先生が、茨城で開拓を始めた忠雄先生ご一家のもとにやってきたのは、1946年の初秋、『あたくし(うめ子先生)は常陸藤沢の駅に降り立ちました。そこは真後ろから筑波おろしが吹きつける場所でした』とある。当時の新治郡藤沢村は今は土浦市に合併されているが、1987年に廃線となったつくば鉄道のこの駅は、今でもサイクリングロードの休憩所としてその姿を残している。
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もと常陸藤沢駅

桝本先生ご一家が、華子先生のご兄弟家族と共に戦後開拓に入ったこの場所は、教会からも、今私が住むつくば市からも4、5キロの場所で、車なら6、7分で到着するほど近い。

ここで5年間、先生ご一家は畑を作りブタを飼い、地域の人たちとも親しく交わったようで、日曜学校も開いていたと記録されている。開拓を茨城でされていたことは何度もうかがっていたが、その場所がこんなに近い場所だったとは!

ようやく農業が軌道に乗り始めた1950年の8月、この地方を襲った大雨により桜川が氾濫、5年間切り開いた農地も何もすべて流されてしまった。その結果、桝本先生ご一家は、間もなく独立学園に行くことになるのだ。

今はただ水田が広がっている開拓地と思える場所に車を止めて、あたりをみわたした。桝本先生ご一家が夢を追った場所がここにあると思うと胸が熱くなる。その夢は濁流に呑み込まれたが、洪水という不幸と思えるできごとによって、私だけではなく、多くの独立学園で学んだ人たちに大きなめぐみが与えられた。この不思議を、私たちは偶然とは呼ばない。
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by oguni-folke | 2015-06-25 17:09
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