雪もみじ
作曲家の三善晃さんが亡くなって1ヶ月以上がすぎた。
私が大学生の時の学長さんで、作曲科の教授で、私にとっては雲の上の存在だったが、学生3人くらいでオーケストレーションという授業も受けさせてもらったし、他にも思い出はいくつかある。
当時まだ先生は40歳くらい、大学の階段をひょいひょいと2段とびで上っていく姿を今でも思い出す。わが身の才なき現実に痛いほどぶち当たり、学生時代は毎日うつむいて歩いていたので、あまり先生と話をした記憶がなくて、今思えば残念だったが、音楽からだけではなく、静かな口調のことばからも、穏やかな姿からも時折垣間見る先生の深いきらめきは、「作曲家とはこういう人がなるものなのだな」「とても私にはできない」と、小心の学生を十分にうなずかせたのだった。学生はその後、作曲を生業とすることなく生きてきた。
それから40年がたち、大阪で、京都エコーという特別にすばらしい合唱団によって、先生の「生きる」を聴いた。(生で聴いたのは初めて)
それはすばらしい作品で、深くて美しくて、ことばはぐいぐいと胸に迫り、私にはとうてい表せる音ではなく、あらためて才ある作曲家とはこういう人なのだと、40年前の学生はあのころのようにうなずいたのだったが、あの時と少しだけ違うことは、才なき身でも、へぼなりに「わたしの歌」を書いていけばいいのかなと、うつむくことだけはなくなったことだろうか。
雲の上の人は、ほんとうに届かぬ雲の上に行ってしまい、もう叶わないことだけれど、わたしの書いた「生きる」を見て先生がなんとコメントされるのか、聴いてみたかったなと思う。
時間を作って、先生の残してくれた作品を少しずつ勉強しようと思っている。