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前に南極観測隊は書いたのでバージョンアップ。
毎日毎日雪で雪で。車は走っているので、それでも昔ほどではないけれど、この雪の中の生活、もう笑うしかない。富士山測候所とはこんな感じだったか、とさえ思う。 避難所があった小玉川は今朝の積雪334センチ! ここも300は超えた気がする。 ふうっ
25日
小国で自殺予防の勉強会があり、山形いのちの電話の伊藤さんから、経験談などお聴きしました。参考になることがたくさんでした。小国町は10万人あたりの自殺者の割合がこの10年間で、県で1位が2回あったりで、突出して多いようです。 私は約17年間の短い教師生活でしたが、そのうちの10年は高校生計4クラスの担任をさせていただきました。(合計で約130人ほど)そのなかで、すでに亡くなった方が6名、うち、わかっているだけで自死が2名。(ほかは交通事故2名、病気1名、不明1名)誰もみな悲しいですが、自殺は別格です。 担任した人以外でも、身近で自ら亡くなった若い人が何人かいたこと、その悲しみが、フォルケをはじめた影の力となっています。 そういえば、私の部屋から見える小さな小屋、この屋根の雪を見るたびに、毎年いまごろには必ず雪下ろしになってきていたA君の笑顔を思い出します。彼がなくなってもう3年になるでしょうか。彼の不在を、雪の季節になると痛感します。 ** 29日 ブログの更新が滞っているのは、極寒だからではなく、この10日間ほど取り組んでいたことがあったからです。ようやくそれも目鼻がつき、はっと気がつけばまもなく2月。冬もまもなく峠です。 スリランカの石川君、2月にはみたび気仙沼入りのようです。ノルウェーからはマグネ君も(これは彼がノルウェー語に翻訳した小説のシンポジウムで)。わたしも2月は小川町・つくば・函館には2回、それに気仙沼にも一度は。ちょっと忙しくなりそうです。
あまりの寒さにパソコンのキーボードが凍ってしまって、ブログの更新ができませんでした。
というわけでもないのですが、これを信じる人がいてもおかしくないこのごろ、寒い日が続きます。 東京で雪が積もり、ニュースによると大騒ぎのようでしたが、2、3センチというのは、この辺の感覚では雪が降らなかった日の分類です。 この冬は関東地方とここを往復しているので、そのあまりの気候の違いを痛烈に感じます。 「国境の長いトンネルを抜けると、、」という書き出しの小説がありますが、ひとつ山を越えると、まさに国が違うようです。 日本と同じように縦長のノルウェーには北極圏の場所があり、そこにも人々は住んでいるのですが、その人たちが南の方の人たちと同じような生活ができるように、住環境も、教育も医療も、国によって手厚く保護されているようです。(オスロのマグネ君、できれば確認を)隣の大国に対する軍事的な意味もあるようですが。 たまにある美しい雪晴れの朝以外にも、雪国の人たちに恩恵があるようなシステムを、国を挙げてみんなで創造していかないと、日本人はますます太平洋側の都市に集中してしまい、近い将来、雪国はゴーストタウンになるような気がします。そして都市は、、。 ** 23日 川崎家に行って、スイスから帰国中のひかりさんにお話をうかがいました。いろいろおもしろそう。いつか私も。 24日 コロニー訪問。夜は今年はじめてのコラ練へ。3年生と歌う時間も残り少なくなってきました。
3月までの期間限定だが、上の娘が先週から同居している。彼女がここに住んでいるのは中学校以来だから、約9年ぶりとなる。山の中のおじいさんとおばあさんの家に、突然やってきた「ゆきんこ」みたいなもので、(おじいさんおばあさんは喜ぶし)子ロバの家が明るくなった気がする。(そういえば名前もゆきんこみたいな名前だ)
ゆきんこは春には帰ってしまうが、それとは別に、この春からはこの地区に、若い人たちが少なくとも8人~9人新しく加わる予定で、(うち6人はファミリー)それもこの山村には希望の話題だ。 今夜は、あしかけ6年目をむかえているららら合唱団の新年会があった。(参加10人) 昨年の平和コンサートのこと、文化祭やアスモコンサート、今年の方針など、遠慮なくいろいろと話あえてよかった。6月にはゲストもお呼びして、小さなコンサートをやろう。文化祭には劇もやりたい。ボイストレーニングを充実させたい。練習は毎週できないか。(現在は隔週)もっとメンバーが増えるといいな。などなど
19日
夕方小国に戻る。雪はここのところ小休止なのか、とうとう昨年の積雪が今より多くなった。といっても230センチほど。 20日 午後から山形市へ移動し、小室等さんと5月の創作合宿の打ち合わせ。沙羅にて、きむらさんと。 合宿では 「今うたをつくり、歌うこととは」というようなテーマになりそうだが、小室さんのお話に深くうなずくこと、教えられることがたくさんあって、「こりゃ5月はたのしいぞーぉ」と、うれしくなった夜だった。ここに紹介したいこともあるけれど、5月を楽しみに、、、。 うたごえの「創作合宿」は5月11日(金)から13日、蔵王温泉のアストリアホテルで。小室さんのトークライブは12日(土)の夕方か夜の予定。全国のみなさん、ご参加お待ちしています。「うたごえ」の人間ではない私が言うのもなんですが。
1月18日
月曜日だけ小国で仕事をし、再びカラカラの埼玉に。 この風景の中にいると、山の向こうの、あの雪に覆われた国のことが現実とは思えない。 自由の森学園の理事会に出席。いつもちょっと危なっかしいけれども、魅力あふれるこの学校に、エールを送り続けたい。終わった後、元同僚たちと語らい、卒業生たちの活躍の様子を聞いた。はなれぐみのながづみくん、最近売出し中の星野源君、、、、音楽関係だけでもいい仕事をしている人たちがたくさん。震災直後からぽぽぽぽーーんを歌った松本野々歩さんも。 そういえば映像作家になった辻川くん。NHKのカーネーションの最初の人形の映像は彼の作品だそうだ。 帰途、21年前に暮らしていた旧玉川村を経由して小川町の小川保育園へ。突然の来訪だったのに、私の顔を見るなり、かつて長男の担任だったきくえ先生「武さんちょっとちょっと、、こっちへ、、、」 たくさんのこどもたちとの歌の会が突然始まった。先日亡くなった林光さんの歌を中心に10曲以上、、こどもたちと歌って、うたって、とても楽しかった。 この中からも、将来のミュージシャンが生まれるかな。
田舎に住んでいて、たまに東京に行くと、驚くことや戸惑うことが多い。
長女の引越しで東京の調布に行った。荷物を積んだところで、手伝ってくれた娘の友人と3人で、近くの回転寿司でお昼を食べようということになった。もちろん長靴ははいていない。 「お父さん、タッチパネルの回転寿司って知ってる?」 「@@@@タッチパネル?」 受付のお姉さんに指定された席に行ってみると、そこには握っているお兄さんたちの姿はなくて、調理場の壁の隙間から、ひたすら皿が流れてくる。流れていなくて食べたいものは「ネギトロ!」とか「あじ!」とか言って注文するのではなくて、席の上部にあるパネルをみて、ほしいもののボタンを押す、いやタッチする仕組みなのだ。 しばらくすると注文したものが流れてくるのだが、その皿が席の近くまで来ると、なにやら急にタッチパネル君が大声で語りだす。すると会話は中断し、注文した皿を急いでコンベアーからとらなくてはならない。うっかり取り逃がしたら大変、また他人の注文品をとっても大変。田舎のおとうさん、どきどきしながらすしを食べることとなった。 なるほど大きな店では、コレなら効率もいいし、注文品が来なくて「サーモンまだかな?」なんて聞くこともない。恥ずかしくて言い出せない人も、声帯を取ってしまった人もコレなら大丈夫だ。ただ慣れないうちは、ちょっと落ち着かない。味気ないといえば味気ないが、そんなことを言い出せば、回転寿司そのものが味気ないとも言える。 この方式、いろいろなものに応用できるね、と3人でいろいろ考えあった。 ファストフードの店ではすぐに使えそうだし、お年寄りや障がい者など、スーパーの入り口でパネルを押すと、やがて商品が流れてくるのはいいかもしれない。 でも、やっぱり店員さんや板前さんがいて、いろいろ会話もしながら食べたり買ったりするのもいいのにな、とお父さんはおもう。対話をする、ということがますます遠ざかっていく。知らない他者とふれあうということも。 ふぉるけマンさんはこんなところでも、ちゃんと今のわかもの気質について取材もしているのだ。 さて、ここからは冗談。 面白いのはたとえば病院。個室の診察室で、どこが痛いのか、症状、熱、などをパネルで押すと、やがてコンベアーに乗って専門医が流れてくる、なんて考えるとおかしい。だいたい日本の病院は待ち時間がながすぎるよね。 とっぴんぱらりのぷう。 ![]() 雪はやみ方をわすれたかのように降り続き、積雪は250センチをとうに超えているようだ。
数年前の冬、ちょうど今のように雪がたくさん降り積もっているころだったが、東京のサントリーホールで、わが師、別宮先生の作品だけの演奏会があり、30年ぶりに先生にお会いしたいと思って、思い切って行くことにした。ちょうどフォルケも休みだったのだろう。サントリーホールは初めてで、すばらしいホールと聞いていたので、それも楽しみだった。
小国駅に車を置いて、そこからはJRで行くことにして、小国駅で作業用の長靴から、めったにはかない革靴に履き替える予定だった。 ところが、小国駅に着いたところでちょうど何年ぶりかに友人にあい、やあやあとJRが発車するまで話し込んでしまったのが予定外だった。米坂線に乗り、足元を見て愕然とした。 上の服装はそれでもサントリーホールだったのに、長靴は、、、そのままだったのだ。もう靴を買う時間はなく、そのまま新幹線に乗り、東京駅から六本木に直行し、はきなれた長靴のまま、サントリーホールに。 足元が気になって、演奏会のあいだじゅう、少年のようにうつむいていたような気がする。思い出そうとするのだが、そのときの演奏についての記憶もまったくない。ただ、演奏会後に先生にお会いした数分間、フォルケの話をしたこと、先生の笑顔があったこと、それは暖かな時間だったこと、そのことだけは思い出すことができる。 そして、それが先生とのお別れだった。 サントリーホールに長靴で行った人間もかなり珍しいだろうと思うが、今思うと、ここで生きてきた私らしい話でもあり、この思い出、案外気に入っている。
「作曲の弟子にしてください」
突然のように、山形のいなかから出てきた丸坊主の少年にこわれて、今思えば先生はお困りになっただろうなと思う。作品らしきものは見ていただいたような気がするが、それも今思えば子どものいたずら書き程度のものだったし、「やれやれ」と思われたのではなかろうか。私の17歳のお正月。 それでも最後には受けて、ピアノの先生や聴音などの先生まで紹介してくださった。 ただ、お世話になってようやく入学した学校の毎週のレッスンに、だんだん行けなくなってしまい、(まさに不登校)心配もずいぶんかけてしまった。卒業の時にも、きちんと感謝の言葉をお伝えせずにお別れしてしまった気がする。その非礼をすでにお詫びするすべがない。 私の作曲の恩師であった、別宮貞雄先生が12日になくなったことを、新聞で知った。 唯一の救いは、30年ぶりくらいにお会いした晩年の先生が、フォルケの活動を知って、とても喜んでくださったこと。(まあ、生きていただけでも良かったと思われたのかもしれないが) 先生の、特にオーケストラの作品については、あまり詳しく知らないというのが本当のところだが(ひどい弟子だ)、歌には大好きな作品があって、淡彩抄という若いころの歌曲集は特にすばらしい。 はじめてお目にかかった時の、存在感のあった先生が、今の私よりも10歳も若かったということも今日知った。葬儀にも行けず、お別れの非礼は2度目だが、心を込めて私が歌の作品を書くことで、許していただけたらと思うしかない。 ![]() 私の部屋から見た雪風景 上は屋根からたれ下がった雪の塊。極めてでんじゃらす。 ![]() 下は新聞。こんな場所に住むことを、確かに子どもの頃は憧れてはいたけれど、それにしても、ね。 今朝、近所のNおばさんが、屋根から落ちたと聞いてびっくり。さいわい大事には至らず。 公式積雪記録、叶水234(13日朝)ですから、大石沢は250でしょうか。 人も大地も、草も木も、じっと雪の重みに耐えながら、春を待つこのごろ 私は昨日12日から、カラカラの埼玉に滞在しています。
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